本当の「患者力」とは何か? 【今の私に出来ること】 (岩本ゆり)

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先日、GEヘルスケア・エッセイ大賞の発表がありました。『患者力』を鍛えよう-患者が変われば医療が変わる」をテーマにした企画です。エッセイを応募したのでこちらで紹介します。なお、残念ながら最終選考にノミネートはされませんでした。入選作品はこちら

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患者力という言葉は医療者には耳触りが良い。患者力を鍛えることが推奨されれば、それは医療者にとって都合良く働くからだ。患者力を鍛えれば良い医療を受けられる、良い医療を受けられないのは患者力が弱いから。患者力が弱いのは患者自身の努力が不足しているから、患者も医療者もそう考えがちだ。

ここ10数年、患者中心の医療が叫ばれ、「賢い患者になろう」が合言葉となった。一番分かりやすいのは医療現場の問題点の一つ、医療者と患者間の情報格差の是正だ。現在の患者は、インターネットを駆使して多様な情報を手に入れる。自治体や病院、患者会などが主催する勉強会も数多くなってきた。また、セカンドオピニオンも浸透し、専門医からの情報も入手できるようになった。情報格差は入手出来る情報量という意味では是正されてきた。しかし、情報格差とは患者が情報を手に入れればそれで解決される問題だろうか。果たして情報を持った患者は、次はその情報をどう自分ごととして解釈すれば良いのか悩み始めている。

例えば、手術を主治医に勧められた患者が手術以外の方法を求め、他の病院へセカンドオピニオン・サードオピニオンを聞きに行った時、セカンドオピニオンの医師は放射線を、サードオピニオンの医師は手術でも放射線でも好きな方を選びなさい、と言ったらどうなるだろう。情報はある、しかしその情報を選択する基準はあくまでも本人の勘、手術をしたくないという希望だけだとしたら、その結果行われた選択に迷いや後悔は生まれないだろうか。悩んだ挙句決めることが出来ず、いっそのこと主治医にお任せしたい、今は決めたくない、と病院にお任せ、または病院から遠ざかってしまう人もいる。誰もが自分一人で重要な選択が出来るほど強くないのである。まして病気を持ち、先の見えない不安に押しつぶされているのならなおさらだ。ここに登場するのが患者力だ。これさえあれば多様な情報を取りまとめ、自分にとって最善の選択をすることが出来るはず。しかし果たしてそうであろうか。

一方、情報格差に対して現場の医療者一人一人は、どう応えてきたのだろう。例えば、外来で患者が「入院前に手術の説明を受けたい」と主治医に言う。主治医は、「入院してから説明する」と答えるだろう。看護師も多忙で説明する時間を作ることは中々出来ない。患者の一人に時間を割けば他の誰かの時間が削られる。ほとんどの医師が食事もろくに取らずに働いていてもそうなのだ。では入院すれば医療者との間は近くなるのだろうか。いや、大規模な病棟では、無医村と看護師から揶揄されるほど、処置や回診の時間以外に医師はいないことが多い。最近の短期入院では、担当医・担当看護師とも会えないまま退院していくという冗談のような状況も実際にはある。このような状況では、情報格差は到底埋まらない。

これまで日本の医療は個人の責務でのみ成り立ってきた部分は否めない。個々人の頑張りはこれ以上効かないほど限界に達してきている。それを理解していてもなお、私には疑問に思うことがある。疲弊している医療者は、本当に患者の気持ちを自分ごととして捉えているのだろうか?体調が悪い中、何時間も外来で時間を費やし、面と向かった医療者からは必要な情報や心の支えを得られず帰宅していく患者の気持ちを、自分ごととして考えたことがあるだろうか。あるのであれば、それをなぜそのまま放置しておくのだろう。彼らはシステムが悪いのだから、と言って気持ちまで割り切れるのだろうか。そして患者力は、こんなシステムに対抗していくだけの力を持ち得るのだろうか。

真の患者力とは何だろう。患者が努力して身に付ける術が患者力の全てだろうか。私は、そうではないと考える。今の患者は、一般的な医療情報を読み解く力はあっても、自分にとってその情報がどういう意味を持つのかを考えることが苦手だ。それは自分を知らないからだ。私は自分を知るということは、必ず訪れる死を意識し、その上でどう生きるかを考えることだと思う。皆さんの記憶に新しい、タレントの向井亜紀さんはその典型だ。彼女は、自身のがんが再発する可能性よりも、夫と彼女の遺伝子を受け継いだ子どもをこの世に誕生させたいという希望を持っていた。彼女は、その希望なしには自分が生きていけないことを知っていた。通常、手術で卵巣を摘出しないことや排卵誘発剤を受けることでがんの再発率は向上する。一般的には医療者が勧めない医療を彼女は受けている。しかしそれは、彼女自身が望み、彼女の生きていくために必要なことだった。彼女は、私の勝手な解釈ではあるが、死を正面から見据え、その上で自分がいかに生きていきたいかを知っていたのだと思う。しかし、もしも彼女が自身の希望に蓋をし、医療者の薦める治療を受け入れ、卵巣を摘出していたらどうなっていただろう。もしも医療者との関係が悪く、彼女の希望が受け入れられなければ、彼女は病院を抜け出して治療自体を拒否していたかもしれない。その後の人生も今とは全く変化していたことだろう。

しかし彼女のような人はごくわずかである。ほとんどの人は、自分が死ぬことを人生の一部に描くことが難しい。病を経て生きる自分、死んでいく自分を想像できないのだ。死を実感できない人が、生を実感できるのであろうか。死を自覚して始めて、見えてくるものがある。人は必ず死ぬ。しかし死が目前に迫る前に死を考える人は、全人類のほんの数パーセントしかいないそうだ。そうであれば、ほとんどの人が死を自分ごととして捉えたことがない、ということになる。死をゴールとして自分の行く道を描くことが出来る人は、それだけで患者力のある人だ。それは、病に関する全てのことを『自分ごと』として落とし込む力を持つことであるからだ。患者力とはすなわち、「自分を知ることが出来る力」、そして「自分をさらけ出す勇気」である。自分とは何か、何を求めているのか、人は一人では生きていけないこと、そういったことを知っていれば、周囲の人に「助けて欲しい」「力になって欲しい」と訴える強さを持つことが出来る。周囲の大勢の人を巻き込んで、病むこと、生きること、死ぬことを一人の問題にしないことだ。誰もが通る道を、先人として指し示す勇気があることは、自分にとっても他人にとっても強い力となるのだ。

医療は総力戦であるため、チームが必要だ。その中心には患者、そして周囲に医療者がいるのだ。まずはここから取り組んでいこう。患者が中心となり、一人でも多くの人を味方に付けてチームを作っていくのだ。「求めよ、さらば与えられん」。医療者は占い師ではないのだから、座って必要最低限の情報だけ提供すれば、後は医療者が最良の医療を施してくれる、なんてことはあり得ない。どれだけ自分の状況をさらけ出せるか、情報提供のためのコミュニケーション能力を持てるか、自分自身を知っているか、自分の体に興味を持っているか、が鍵となる。自分がまだそうした状況に至っていない場合は、そのことを医療者に伝えるという術もある。「もう少し待って欲しい」「まだ準備が出来ていない」と伝えるのだ。そこには、患者の本音に応える医療者が必ず存在する。諦めてはいけない、互いに助け合うことも患者力をあげることそのものなのだから。

posted by 楽患ナース株式会社

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